東京大学地震研究所 | |
強震動グループ | |
2005年07月24日 | |
2005年08月02日 | |
2005年08月06日 |
震源メカニズム | .................................................. | 纐纈一起・三宅弘恵 | |
強震動 | .................................................. | 三宅弘恵・纐纈一起 | |
明治東京地震との関連 | .................................................. | 古村孝志 |
K-NETおよび地震研強震観測室の強震計波形記録を用いて,千葉県北西部の地
震(2005年7月23日)の震源メカニズムを決めてみた.
Kuge (2003)によるCMTインバージョンコードを用い,グリーン関数の計算には
山中・山田 (2002)やAfnimar et al. (2003)による三次元構造モデルから得ら
れる東京湾周辺の一次元速度構造を利用した.
その結果(図1)によれば,この地震のセントロイドは深さ70kmで(水平位置は一
元化震源の震央に固定),震源メカニズムは北西−南東圧縮の逆断層タイプ
(表1)である.
この深さは一元化震源の深さ(73km)とF-netによる深さ(68km)のほぼ中間で,
沈み込む太平洋プレートの上面付近に位置し,
メカニズムは
気象庁による初動発震機構解に近い.
走向 | 傾斜 | すべり角 | モーメント | マグニチュード | |
---|---|---|---|---|---|
節面1 | 25.5° | 63.1° | 67.8° | 5.8×1017Nm | Mw 5.8 |
節面2 | 247.6° | 34.4° | 126.7° |
表1. 震源メカニズムの諸元.
図1. 深さごとのCMTインバージョン結果.●印はVariance Reductionを%で示す(縦軸).
図2. 余震分布(左上)のその深さ断面(下と右).
図3. 千葉県北西部の地震の震源断層と1987〜1996年の地震活動 (「日本の地震活動」図5-4, 5-5に加筆).
(以上,纐纈一起・三宅弘恵による)
K-NET, KiK-net および SK-net によって現時点で公開されている強震波形を 用いて,地震による関東平野の揺れの特徴を調べた. 震源距離に対する最大加速度 PGA と最大速度 PGV の分布(図4)は,Mw 5.8, 深さ70kmのプレート境界地震に対する司・翠川 (1999) の減衰曲線に基本的に 一致している(つまり,短周期の揺れが卓越するスラブ内地震の震源特性はあ まり現れていない).
図4. 最大加速度(左)と最大速度(右)の距離減衰. 実線・点線は司・翠川 (1999) の減衰曲線とその±σを表す.
図5. 最大加速度(左)と最大速度(右)の分布.
東京都内(島嶼部を除く)で13年ぶりの震度5となった。
5弱以上の大きな震度は東京都大田区,江戸川区,横浜市中区,川崎市川崎区,
千葉県浦安市,市川市,木更津市など東京湾沿岸の埋立地などで観測された.
しかし,やや内陸にもかかわらず東京都足立区から埼玉県草加市,鳩ヶ谷市,
八潮市,三郷市や宮代町にまで震度5弱が広がり,中でも足立区伊興ではこの
地震の最大震度である5強(計測震度5.0)が観測されたのはかなり異例である.
東京湾岸から北に向かって見て行くと,江戸川区の湾岸は震度5弱だが,少し
内陸に入ると震度4の領域となり,さらに北の足立区から埼玉県南東部にかけ
て再び5弱(5強を含む)となる.
震度の分布(図6左)を
若松・松岡(2003)による地形地盤分類図(図6右)と比較すると,これら領
域がそれぞれ埋立地,三角洲・海岸低地,後背湿地に相当していることが見て
取れる.
三角洲・海岸低地とは要するに砂地盤で揺れにくい.
これに対して後背湿地は揺れやすく,震源からの距離を考えれば埋立地より揺
れやすいと考えられる.
この後背湿地は利根川が東京湾にそそいでいた頃に形成され,1923年関東地震
の際には震源から十分遠方にもかかわらず震度6ないし7相当の被害が生じた地
帯でもある.(7月24日フジテレビめざましテレビで報道,
7月28日付朝日新聞夕刊に掲載)
図6. 震度の分布(左,ADEP地震加速度情報に加筆)と地形地盤分 類図(右,若松・松岡, 2003による). 右図で紫色,水色,緑色はそれぞれ埋立地,三角洲・海岸低地,後背湿地を表 す.
(以上,三宅弘恵・纐纈一起による)
関東直下では、今から110年前にM7クラスの大地震(1894年明治東京地震)が
起きました。このとき東京・横浜などでは最大震度6相当の揺れに見舞わ
れ、31名の死者を含む大きな災害となりました。
その震度分布(図7)を見ると、千葉県北西部の地震と同様に、
東京湾の奥と西部の湾岸で大きな震度が観測されており、
明治東京地震もまた首都圏直下の深い場所で起きた
可能性が考えられます。
この時代には既に古い機械式地震計(グレイ・ミルン・ユーイング型円盤地震
計)による地震観測が開始されていました。本郷(東京帝国大学地震学教室)
の地震記録11枚を復元し、S-P時間(初期微動継続時間)を読み取ったところ、
5.6〜7.0秒の範囲にあることがわかりました
(別添の図A2)。これから、震源の深さ
をおおよそ40〜50kmと見積もることができ、太平洋プレートというよりはフィ
リピン海プレート内部の地震かも知れません。
(8月5日付朝日新聞朝刊に掲載)
図7. 明治東京地震による震度の分布(「日本被害地震総覧」宇 佐美, 2003).
(以上,古村孝志による)
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