歴史地震3
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番号 西暦(日本暦) 緯度経度 M マグニチュード / 地域:(名称:) 被害摘要
201 1767 5 4 (明和 4 4 7)
陸中: 鬼柳(現北上市)で潰家1,焼失20余.津軽・八戸・盛岡・花巻・羽前南村山郡・江戸・八王子・甲府などで有感.
202 1767 10 22 (明和 4 9 30) 35.7°N 139.8°E M≒6.0
江戸: 瓦が落ち,14〜15軒潰れ,所々破損があった.
203 1768 7 19 (明和 5 6 6) 35.3°N 139.05°E M≒5.0
箱根: 矢倉沢で田畑に被害.1里先は小震という.江戸・八王子・甲府・塩山で有感.
204 1768 7 22 (明和 5 6 9) 26.2°N 127.5°E
琉球: 王城などの石垣が崩れた.津波が来て,慶良間島で田園と民家9戸を損じた. [1]
205 1768 9 8 (明和 5 7 28)
陸奥八戸: 和賀郡沢内で震動が強かった.29日にも2回地震,家屋・塀などの被害が少なくなかった.
206 1769 7 12 (明和 6 6 9) 40.6°N 141.6°E M≒6½
八戸: 八戸城の殿中および諸建物,塀,諸士町家の損害大.御殿通り・外側通りなどで破損,南宗寺で霊屋など破損.大橋5間落ちる.
207 1769 8 29 (明和 6 7 28) 33.0°N 132.1°E M7¾±¼
日向・豊後・肥後: 延岡城・大分城で被害多く,寺社・町屋の破損多数.熊本領内でも被害多く,宇和島で強震.津波あり.暴風雨被害も混在か? [1]
208 1771 4 24 (明和 8 3 10) 24.0°N 124.3°E M7.4
八重山・宮古両群島: 『明和の八重山津波』: 震害はなかったようである.津波による被害が大きく,石垣島が特にひどかった.全体で家屋流失2千余,溺死約1万2千. [4]
209 1771 8 29 (明和 8 7 19)
西表島: 南風見・仲間の二村で8月5〜6日頃まで毎日7〜8回の地震.仲間村で地陥り,水湧く.局所的群発地震?
210 1772 6 3 (明和 9 5 3) 39.35°N 141.9°E M6¾±½
陸前・陸中: 遠野・宮古・大槌・沢内で落石や山崩れ,死12.花巻城で所々破損,地割れあり.盛岡で石垣被害,家屋破損.江戸など有感.1987年1月9日の地震(「総覧」参照)に似ており,海岸近くのやや深い地震の可能性.
211 1774 1 22 (安永 2 12 11)
丹後: 屋根石が多く落ちる(『宮津日記』:要史料批判).京都・池田で有感.
212 1778 2 14 (安永 7 1 18) 34.6°N 132.0°E M≒6.5
石見: 那賀郡波佐村で石垣崩れ,極楽寺山・大野村・都茂村で落石,三隅川沿いで山崩れ・家潰れ.安芸より備前まで強く震い,筑前などで有感.
213 1778 11 25 (安永 7 10 7) 34.0°N 136.0°E M≒6.0
紀伊: 尾鷲で石垣が崩れた.京都・大阪・田辺・浅井・長浜で有感.
214 1780 5 31 (安永 9 4 28) 45.3°N 151.2°E M7.0
ウルップ島: 地震後に津波.ウルップ島に停泊中のロシア船が打ち上げられ,溺死4. [1]
215 1780 7 20 (安永 9 6 19) 38.9°N 139.9°E M≒6.5
酒田: 土蔵倒れかかって小家1軒潰れ,死2.亀ヶ崎城内で被害.余目・金浦でも小被害.
216 1782 8 23 (天明 2 7 15) 35.4°N 139.1°E M≒7.0
相模・武蔵・甲斐: 『天明の小田原地震』: 月はじめより前震があり,15日に2度強震.小田原城破損,人家約800破損.箱根・大山・富士山で山崩れ.江戸でも潰家や死者があった.熱海で津波があったとする史料の報告があるが反論あり.
217 1786 3 23 (天明 6 2 24) 35.2°N 139.1°E M5〜5½
箱根: 23〜24日で地震100回余.大石落ち,人家を多く破った.関所の石垣など破損.
218 1789 5 11 (寛政 1 4 17) 33.7°N 134.3°E M7.0±0.1
阿波: 阿波富岡町で文珠院や町屋の土蔵に被害,山崩れがあった.南部の沿岸地方,土佐室津など広範囲に比較的軽い被害.鯖江・広島・鳥取・岡山・山口・佐賀などで有感.震央は紀伊水道の可能性もある.
219 1791 1 1 (寛政 2 11 27) 35.8°N 139.6°E M6.0〜6.5
川越・蕨: 蕨で堂塔が転倒し,土蔵なども破損.川越や岩槻の寺院に被害.
220 1791 7 23 (寛政 3 6 23) 36.2°N 138.0°E M≒6¾
松本: 松本城で塀など崩れる.人家・土蔵も多く崩れた.27日暮までに地震79回.高山・甲府・江戸で有感.
221 1792 5 21 (寛政 4 4 1) 32.8°N 130.3°E M6.4±0.2
雲仙岳: 『寛政の島原地震』: 前年10月から始まった地震が11月10日頃から強くなり,山崩れなどでたびたび被害があった.この日に強震2回,前山(天狗山)の東部が崩れ,崩土約0.325km3が有明海に入り津波を生じた.対岸の肥後でも被害が多く,津波による死者は全体で約1万5千,「島原大変肥後迷惑」と呼ばれた. [3]
222 1792 6 13 (寛政 4 4 24) 43¾°N 140.0°E M≒7.1
後志: 津波があった.忍路で港頭の岸壁が崩れ,海岸に引き上げていたアイヌの船漂流,出漁中のアイヌ人5人溺死.美国郡でも溺死若干. [2]
223 1793 1 13 (寛政 4 12 2) 34.1°N 131.5°E M6¼〜6½
長門・周防・筑前: 防府で人家の損壊が多かったという.萩では30年来の大地震と史料にある.現在の福岡県各地で小被害.対馬で石垣崩れ.
224 1793 2 8 (寛政 4 12 28) 40.85°N 139.95°E M6.9〜7.1
西津軽: 『寛政の鰺ヶ沢地震』: 鰺ヶ沢・深浦で被害が大きく,全体で潰家154,死12など.大戸瀬を中心に約12kmの沿岸が最高3.5m隆起した.小津波があり,余震が続いた. [1]
225 1793 2 17 (寛政 5 1 7) 38.3°N 144.0°E M8.0〜8.4
陸前・陸中・磐城: 仙台領内で家屋損壊1060余,死12.沿岸に津波が来て,全体で家潰流失1730余,船流破33,死44以上.余震が多かった.宮城県沖の巨大地震と考えられる(「総説」). [2]
226 1793 4 17 (寛政 5 3 7)
三陸沖: 笠間の牧野家御殿の壁が所々落ちる.津軽から甲府・高田まで有感.前の地震の余震の一つか.
227 1794 11 25 (寛政 6 11 3)
江戸: 鳥取藩上屋敷・幕府書物方の蔵で被害.津軽・日光・甲府・矢祭・花巻などで有感.これも余震の一つか.
228 1796 1 3 (寛政 7 11 24) 35.7°N 134.3°E M5〜6
因幡: 岩美町で蔵の壁が落ち,石塔倒れ,地下水の異常があった.余震が翌年正月まであった.
229 1799 6 29 (寛政 11 5 26) 36.6°N 136.7°E M6.0±¼
加賀: 上下動が激しく,屋根石が1尺も飛び上がったという.金沢城で石垣破損,城下で潰家26,損家4169.能美・石川・河北郡で損家1003,潰家964,死21.
230 1801 5 27 (享和 1 4 15) 35.3°N 140.1°E M6.5
上総: 久留里城の塀など破損,民家の潰れるもの多かった.江戸などで有感.
231 1802 11 18 (享和 2 10 23) 35.2°N 136.5°E M6.5〜7.0
畿内・名古屋: 奈良春日大社・西大寺の石灯籠かなり倒れ,名古屋で本町御門西の土居の松倒れ,高壁崩れる.彦根・京都で小被害.やや深い地震か?
232 1802 12 9 (享和 2 11 15) 37.8°N 138.35°E M6.5〜7.0
佐渡: 『享和の佐渡小木地震』: 巳刻の地震で微小被害,未刻の地震は大きく,佐渡3郡全体で焼失328,潰家732,死19.島の西南海岸が最大2m強隆起した.鶴岡で強く感じ,米沢・江戸・日光・高山・秋田・弘前で有感.
233 1804 7 10 (文化 1 6 4) 39.05°N 139.95°E M7.0±0.1
羽前・羽後: 『文化の象潟地震』: 5月より付近で鳴動があった.被害は全体で潰家5千以上,死300以上.象潟湖が隆起して陸あるいは沼となった.余震が多かった.象潟・酒田などに津波の記事がある.
234 1810 9 25 (文化 7 8 27) 39.9°N 139.9°E M6.5±¼
羽後: 『文化の男鹿半島地震』: 男鹿半島の東半分で5月頃より鳴動があり,7月中旬から地震が頻発,27日に大地震.寒風山を中心に被害があり,全潰1003(寺を含む),死57(163とも).秋田で強く感じ,角館・大館・鯵ヶ沢・弘前・鶴岡で有感.
235 1811 1 27〜30 (文化 8 1 3〜6)
三宅島: 噴火活動による地震.山崩れ・地割れを生じた.
236 1812 4 21 (文化 9 3 10) 33.5°N 133.5°E M≒6.0
土佐: 高知で土蔵壁落ち,瓦落下,塀の損傷があった.中村の方が強かったともいう.
237 1812 12 7 (文化 9 11 4) 35.45°N 139.65°E M6¼±¼
武蔵・相模: 江戸で小被害.最戸村(現横浜市港南区)で家19や寺堂3が倒れかかる.その他神奈川宿・川崎宿・保土ヶ谷などに潰家や死者があった.
238 1814 11 22 (文化 11 10 11) M≒6.0
土佐高知: 垣壁少し破損.松阪・大阪・豊岡・善通寺・出雲・広島・岡山・琴平・近江・臼杵・佐賀で有感.
239 1815 3 1 (文化 12 1 21) 36.4°N 136.5°E M≒6.0
加賀小松: 小松城が破損という.岐阜県白鳥町の悲願寺で香炉が落ちた.金沢などで揺れが強かった.
240 1817 12 12 (文化 14 11 5) 35.20°N 139.05°E M≒6.0
箱根: 箱根で落石,江戸で幕府書物方の蔵に小被害.秩父・甲府・八王子などで有感.
241 1818 6 27 (文政 1 5 24)
岩代川俣: 岩代川俣で屋根石や店の品物が落ちた.矢祭・日光・鶴岡・江戸・生麦で有感.
242 1818 9 5 (文政 1 8 5)
江戸: 幕府書物方の壁に亀裂ができた.
243 1819 8 2 (文政 2 6 12) 35.2°N 136.3°E M7¼±¼
伊勢・美濃・近江: 近江八幡で潰家82,死5.木曽川下流では香取(多度町)で40軒全滅,金廻では海寿寺潰れ圧死70.名古屋・犬山・四日市・京都などのほか,金沢・敦賀・出石・大和郡山などでも被害.余震記事全く見当たらず,深い地震か.
244 1821 9 12 (文政 4 8 16)
津軽・青森・八戸: 青森で小店の屋根落ち,子供1人死亡.八戸で蔵などに被害.
245 1821 12 13 (文政 4 11 19) 37.45°N 139.6°E M5.5〜6.0
岩代: 『文政の岩代地震』: 大沼郡大石組の狭い範囲に強震.130軒壊れ,大小破300余,死若干.上下動が強く,山崩れがあった.翌年1月4日に再び強い揺れがあった.
246 1823 9 29 (文政 6 8 25) 40.0°N 141.1°E M5¾〜6
陸中岩手山: 山崩れあり,西根八ヶ村に被害,潰家105など.岩手山の北30kmにある七時雨山も崩れ,死69,不明4.
247 1826 8 28 (文政 9 7 25) 36.2°N 137.25°E M≒6.0
飛騨大野郡: 地裂け,石垣崩れる.土蔵の壁土落ち,石塔・石灯籠が倒れた.
248 1827 8 26 (文政 10 7 5)
日光: 日光奥院で石柵など少々損じる.
249 1828 5 26 (文政 11 4 13) 32.6°N 129.9°E M≒6.0
長崎: 出島の周壁が数ヶ所潰裂.天草で揺れが激しかったという.天草の海中で噴火に似た現象があったという.
250 1828 12 18 (文政 11 11 12) 37.6°N 138.9°E M6.9
越後: 激震地域は信濃川流域の平地.三条・燕・見付・今町・与板などで被害が大きかった.全体で寺社の全潰91・焼失8,家屋の全潰13149・焼失1200,死1681.地割れから水や砂が噴出するなど,液状化現象がみられた.
251 1830 8 19 (文政 13 7 2) 35.1°N 135.6°E M6.5±0.2
京都および隣国: 洛中洛外の土蔵はほとんど被害を受けたが,民家の倒潰はほとんどなかった.御所・二条城などで被害.京都での死280.上下動が強く,余震が非常に多かった.
252 1831 3 26 (天保 2 2 13) 35.65°N 139¾°E M≒5.5
江戸: 幕府書物方の壁が損じ,瓦がせり出した.船橋・流山で有感.詳細不明.
253 1831 11 13 (天保 2 10 10)
会津: 会津若松城内石垣所々崩れ,家中在方潰家多く,所々地割れ.白川・鶴岡・村上・上田・日光・船橋・江戸などで有感.
254 1832 3 15 (天保 3 2 13) 40.7°N 141.6°E M≒6½
八戸: 土蔵の破損が多かった.南宗寺・本寿寺の石碑所々痛む.
255 1833 5 27 (天保 4 4 9) 35.5°N 136.6°E M≒6¼
美濃西部: 大垣北方の村々で山崩れ多く,死者11という.余震が多く,8月まで続く.震源は根尾谷断層に近い.
256 1833 12 7 (天保 4 10 26) 38.9°N 139.25°E M7½±¼
羽前・羽後・越後・佐渡: 庄内地方で特に被害が大きく,潰家475,死46.津波が本庄から新潟に至る海岸と佐渡を襲い,能登で大破流出家約345,死約100. [2]
257 1834 2 9 (天保 5 1 1) 43.3°N 141.4°E M≒6.4
石狩: 地割れ,泥噴出.アイヌの家23潰れる.その他,会所などに被害.
258 1835 3 12 (天保 6 2 14) 35.1°N 132.6°E M≒5½
石見: 島根県高畑村で石地蔵・石塔・墓石などが倒れ,蔵の壁が破れ,石垣が崩れた.
259 1835 7 20 (天保 6 6 25) 38.5°N 142.5°E M≒7.0
仙台: 仙台城で石垣崩れ,藩内で被害.岩手県藤沢町で石垣崩れ,蔵の壁を損じた.
260 1835 9 11 (天保 6 閏7 19)
須賀川: 福島県須賀川で土蔵ひび割れ,壁落ちる.江戸で有感.
261 1835 11 3 (天保 6 9 13)
日光: 日光で石柵倒れ,所々破損.会津・関東・甲斐・信濃・越後・近江で有感.
262 1836 3 31 (天保 7 2 15) 34.4°N 139.2°E M5〜6
伊豆新島: 神社・寺の石垣崩れる.江戸で有感.2月末まで地震続く.
--- 1837 11 9 (天保 8 10 12)
三陸: チリ沖のM>8の地震による遠地津波が三陸に襲来.大船渡で田荒れ,塩流失2000俵.今泉で鮎川留破る. [1〜2]
263 1839 5 1 (天保 10 3 18) M≒7.0
厚岸: 国泰寺門前の石灯籠大破,戸障子破損.津軽で強く感じた.
264 1841 4 22 (天保 12 3 2) 35.0°N 138.5°E M≒6¼
駿河: 駿府城の石垣崩れ,久能山東照宮の堂・門など破損.江尻・清水辺で家や蔵の壁が落ち,地裂け,水吹き出す.三保の松原の砂地が3千坪ほど沈下した.
265 1841 11 3 (天保 12 9 20) 33.2°N 132.4°E M≒6.0
宇和島: 宇和島城の塀・壁など破損.四国・中国の西部と筑後で有感.
266 1841 12 9 (天保 12 10 27)
信濃: 長野で石垣崩れる.上田・馬屋(新潟県清里村)で有感.
267 1842 4 17 (天保 13 3 7)
琉球: 宮古島などで5日頃から地震,7日の地震で石墻が多く崩れた.14日まで数十回の地震があった.
268 1843 3 9 (天保 14 2 9) 35.35°N 139.1°E M6.5±¼
足柄・御殿場: 足柄萱沼村で石垣・堤の崩れ多く,御殿場の近くや津久井でも被害があった.小田原で城内に破損があった.
269 1843 4 25 (天保 14 3 26) 42.0°N 146.0°E M8.0
釧路・根室: 『天保の根室釧路沖地震』: 厚岸国泰寺で被害があった.津波があり,全体で死46.家屋破壊76.八戸にも津波.松前・津軽で強く感じ,江戸でも有感. [2]
270 1843 6 29 (天保 14 6 2) 39.45°N 140.7°E M5〜6
陸中沢内: 所々崩れ,家痛む(『沢内年代記』).雫石で山崩れという.
271 1843 9 27 (天保 14 9 4)
江戸: 幕府書物方の庫が少々損じた.
272 1843 12 16 (天保 14 10 25)
江戸: 幕府書物方の庫に損じ個所あり.群馬県高山村・日光・茨城県御前山村・坂戸・塩山で有感.
273 1844 8 8 (天保 15 6 25) 33.0°N 131.3°E
肥後北部: 28日まで地震が多く,久住北里で特に強かった.杖立村で落石により百姓屋崩れる.
274 1847 5 8 (弘化 4 3 24) 36.7°N 138.2°E M7.4
信濃北部および越後西部: 『弘化の善光寺地震』: 被害範囲は高田から松本に至る地域で,特に水内・更級両郡の被害が最大だった.松代領で潰家9550,死2695,飯山領で潰家1977(2977とも),死586,善光寺領で潰家2285,死2486など.全国からの善光寺の参詣者7千〜8千の内,生き残ったもの約1割という.山地で山崩れが多く,松代領では4万ヶ所以上.虚空蔵山が崩れて犀川をせき止め,上流は湖となったが,4月13日に決壊して流出家屋810,流死100余.
275 1847 5 13 (弘化 4 3 29) 37.2°N 138.3°E M6½±¼
越後頸城郡: 善光寺地震の被害と区別できないところが多い.潰家・大破ならびに死傷があった.地割れを生じ,泥を噴出し,田畑が埋没したところもあった.
276 1848 1 10 (弘化 4 12 5) 33.2°N 130.4°E M5.9
筑後: 柳川で家屋の倒潰があった.
277 1848 1 14 (弘化 4 12 9) 40.7°N 140.6°E M6.0±0.2
津軽: 弘前の城内・城下で被害.黒石・猿賀(弘前の北東)辺で特に強く,潰家があったらしい.
278 1848 1 25 (弘化 4 12 20) 32.85°N 130.65°E
熊本: 熊本城内で石垣を損じ,座敷などの壁が落ちた.
279 1848 4 1 (嘉永 1 2 28)
長野: 横山(現長野県城山)で瓦の家が落ちた家があり,羽尾村(現戸倉町)で潰家16という.
280 1848 6 9 (嘉永 1 5 9)
江戸: 両国で行灯倒れる.加賀藩邸の土塀が少々破損.
281 1853 1 26 (嘉永 5 12 17) 36.6°N 138.1°E M6.5±¼
信濃北部: 善光寺で被害.長野市中で下屋の破損があった.松代領で潰家23.
282 1853 3 11 (嘉永 6 2 2) 35.3°N 139.15°E M6.7±0.1
小田原付近: 小田原で被害が大きく,城内で潰れや大破があった.小田原領で潰家1千余,死24.山崩れが多かった.
283 1854 7 9 (嘉永 7<安政 1> 6 15) 34.75°N 136.1°E M7¼±¼
伊賀・伊勢・大和および隣国: 『安政の伊賀地震』: 12日頃から前震があった.伊賀上野・四日市・奈良・大和郡山付近で被害が大きかった.上野付近で潰家2千余,死約600,奈良で潰家700〜800,死約300など,全体で死1300余.木津川断層の活動であろう.
284 1854 8 28 (嘉永 7 閏7 5) 40.6°N 141.6°E M6.5±¼
陸奥: 三戸・八戸で被害.地割れがあった.
285 1854 12 23 (嘉永 7<安政 1> 11 ) 34.0°N 137.8°E M8.4
東海・東山・南海諸道: 『安政の東海地震』: 被害は関東から近畿に及び,特に沼津から伊勢湾にかけての海岸がひどかった.津波が房総から土佐までの沿岸を襲い,被害をさらに大きくした.この地震による居宅の潰・焼失は約3万軒,死者は2千〜3千人と思われる.沿岸では著しい地殻変動が認められた.地殻変動や津波の解析から,震源域が駿河湾深くまで入り込んでいた可能性が指摘されており,すでに100年以上経過していることから,次の東海地震の発生が心配されている. [3]
286 1854 12 24 (嘉永 7<安政 1> 11 ) 33.0°N 135.0°E M8.4
畿内・東海・東山・北陸・南海・山陰・山陽道: 『安政の南海地震』: 東海地震の32時間後に発生,近畿付近では二つの地震の被害をはっきりとは区別できない.被害地域は中部から九州に及ぶ.津波が大きく,波高は串本で15m,久礼で16m,種崎で11mなど.地震と津波の被害の区別が難しい.死者数千.室戸・紀伊半島は南上がりの傾動を示し,室戸・串本で約1m隆起,甲浦・加太で約1m沈下した. [4]
287 1854 12 26 (嘉永 7 11 7) 33¼°N 132.0°E M7.3〜7.5
伊予西部・豊後: 南海地震の被害と区別が難しい.伊予大洲・吉田で潰家があった.鶴崎で倒れ屋敷100,土佐でも強く感じた.
288 1855 3 15 (安政 2 1 27)
遠江・駿河: 大井川の堤揺れ込み,焼津で古い割れ目から水が噴出.
289 1855 3 18 (安政 2 2 1) 36.25°N 136.9°E M6¾±¼
飛騨白川・金沢: 野谷村で寺・民家に破損があった.保木脇村で民家2軒が山抜けのため潰れ,死12.金沢城で石垣など破損.
290 1855 9 13 (安政 2 8 3) 38.1°N 142.0°E M7¼±¼
陸前: 仙台で屋敷の石垣,堂寺の石塔・灯籠崩れる.山形県・岩手県南部・新潟県分水町・常陸太田で有感.
291 1855 11 7 (安政 2 9 28) 34.5°N 137.75°E M7.0〜7.5
遠州灘: 前年の東海地震の最大余震.掛塚・下前野・袋井・掛川辺がひどく,ほとんど全滅.死者があった.津波があった.
292 1855 11 11 (安政 2 10 2) 35.65°N 139.8°E M7.0〜7.1
江戸および付近: 『安政の江戸地震』: 下町で特に被害が大きかった.地震後30余ヶ所から出火したが,風が静かで焼失面積は2.2km^2にとどまった.江戸町方の被害は,潰れ焼失1万4千余軒,死4千余.武家方には死約2600等の被害があり,合わせて死は計1万とも.瓦版が多数発行された.
293 1856 8 23 (安政 3 7 23) 41.0°N 142.3°E M≒7.5
日高・胆振・渡島・津軽・南部: 『安政の八戸沖地震』: 震害は少なかったが,津波が三陸及び北海道の南岸を襲った.南部藩で流失93,潰100,溺死26,八戸藩でも死5など.余震が多かった.1968年十勝沖地震に津波の様子がよく似ており,もう少し海溝寄りの地震かもしれない. [2]
294 1856 11 4 (安政 3 10 7) 35.7°N 139.5°E M6.0〜6.5
江戸・立川・所沢: 江戸で壁の剥落や積瓦の落下があり,傷23.粂川で家屋倒潰15という.
295 1857 7 8 (安政 4 閏5 17) 34.4°N 131.4°E M≒6.0
萩: 城内で石垣などに小被害.市中でも小被害があった.
296 1857 7 14 (安政 4 閏5 23) 34.8°N 138.2°E M6¼±¼
駿河: 田中城内で被害.藤枝・静岡で強くゆれ,相良で人家が倒れたという.
297 1857 10 12 (安政 4 8 25) 34.0°N 132.75°E M7¼±0.5
伊予・安芸: 今治で城内破損,郷町で潰家3,死1.宇和島・松山・広島などで被害.郡中で死4.
298 1858 4 9 (安政 5 2 26) 36.4°N 137.2°E M7.0〜7.1
飛騨・越中・加賀・越前: 『安政の飛越地震』: 飛騨北部・越中で被害が大きく,飛騨で潰家323,死209.山崩れも多く,常願寺川の上流が堰止められ,後に決壊して流出および潰家1600余,溺死140の被害を出した.跡津川断層の運動(右横ずれ)によると考えられる.
299 1858 4 9 (安政 5 2 26)
丹後・宮津: 地割れを生じ,家屋が大破した.
300 1858 4 23 (安政 5 3 10) 36.6°N 137.9°E M5.7±0.2
信濃北西部: 大町組で家・蔵が潰れ,山崩れがあった.この地震が引金で,2月26日の地震で堰止められたところが崩れたと考えられる.
301 1858 7 8 (安政 5 5 28) 40.75°N 142.0°E M7.0~7.5
八戸・三戸: 八戸・三戸で土蔵・堤水門・橋など破損.青森・弘前・陸奥・田名部・鰺ヶ沢・秋田で強く感じた.
302 1858 8 24 (安政 5 7 16)
紀伊: 田辺で瓦が落ち,壁が崩れた家があった.
303 1858 9 29 (安政 5 8 23) 40.9°N 140.8°E M≒6.0
青森: 安方町で米蔵潰れる.狩場沢村(現平内町)で道路に亀裂があった.
304 1859 1 5 (安政 5 12 2) 34.8°N 131.9°E M≒6.2
石見: 島根県一帯で強く,波佐村で山崩れがあった.周布村・美濃村・下道川村などで被害.家潰56.
305 1859 10 4 (安政 6 9 9) 34.5°N 132.0°E M6.0〜6.5
石見: 島根県那賀郡で強く,周布村でも潰家や地割れがあった.広島城内でも被害があった.
306 1861 3 24 (万延 2 2 14) 34.8°N 137.1°E M≒6.0
西尾: 丑刻・寅刻と続けて大地震.寅刻の地震の方が強かった.白鳥村で庄屋の柱折れなどの小破損.額田郡4ヶ村で大破した家があった,
307 1861 10 21 (文久 1 9 18) 38.55°N 141.15°E M6.4
陸前・磐城: 陸前の遠田・志田・登米・桃生等の各郡で特に被害が多く,潰家・死傷があった.江戸・新潟県分水町・長野・長万部・津軽まで有感.
308 1865 2 24 (元治 2 1 29) 35.0°N 135.0°E M≒6¼
播磨・丹波: 加古川上流の杉原谷で家屋が多く破壊したという.
309 1866 11 24 (慶応 2 10 18)
銚子: 銚子市後飯町の浅間社の石の鳥居倒れる.日光・相馬・成田・江戸などで有感.
310 1870 5 13 (明治 3 4 13) 35.25°N 139.1°E M6.0〜6.5
小田原: 小田原城内の所々で壁などが破損した.町田・江戸・塩山・馬籠・分水町で有感.
311 1872 3 14 (明治 5 2 6) 35.15°N 132.1°E M7.1±0.2
石見・出雲: 『浜田地震』: 1週間ほど前から鳴動,当日には前震もあった.全体で全潰約5千,死約550,特に石見東部で被害が多かった.海岸沿いに数尺の隆起・沈降がみられ,小津波があった. [0]
312 1874 2 28 (明治 7 ) 44.6°N 141.6°E M≒5.5
天塩: 苫前郡風連別で止宿所の台所破損.橋の過半数が破損.これより北約20kmの範囲の海岸で山崩れ10ヶ所余り.
--- 1877 5 10 (明治 10 )
太平洋沿岸: チリのイキケ沖の地震による津波.波高は釜石で3mなど.函館などで被害.房総半島で死者があった.
313 1880 2 22 (明治 13 ) 35.4°N 139.75°E M5.5〜6.0
横浜: 『横浜地震』: 横浜で煙突の倒潰・破損が多く,家屋の壁が落ちた.東京の被害は横浜より軽かった.この地震を機として日本地震学会が生まれた.
314 1881 10 25 (明治 14 ) 43.3°N 147.3°E M≒7.0
北海道: 国後島泊湊で板蔵など倒れ,または大破した.津軽でも強く感じた.
315 1882 6 24 (明治 15 )
高知市付近: 市中で壁が落ち,板塀が倒れ,石灯籠の頭が落ちるなどの被害があった.
316 1882 7 25 (明治 15 )
那覇・首里付近: 家屋の倒潰なし.那覇各村で241ヶ所,首里各村で252ヶ所の石垣が崩壊.余震が多かった.
317 1882 9 29 (明治 15 ) 35°07'N 139°05'E
熱海付近: 熱海で落石,墓石の転倒があった.原・八王子で有感.
318 1884 10 15 (明治 17 ) 35.7°N 139.75°E
東京付近: 多数の煙突が倒れ,煉瓦作りの壁に亀裂が入った.柱時計の70〜80%が止まった.

2022年09月08日
2024年01月11日